お店のストーリー

こだわり抜いた食材を産地にネットワークを作るところからはじめ、それらを活かすための技術を磨き、食材だけでなく器にも最適解を求めるなど、ラーメンを美味しくするための努力は人並みならないもの。その姿勢には多くのフォロワーがつき、ラーメン界そのものにも影響を与えたお店だ。
当時から面倒見が良かった人みたいでね、給料は結構もらっていたみたいただけど後輩たちにごちそうするために殆ど使ってしまっていたみたいなの。
洋食屋で働いている頃からラーメンでいくと決めていたかどうかは定かではない。ただ高校時代にラーメンを食べるために学校を抜け出したのが先生にばれ、停学を食らったこともあるくらい好きだったので、ラーメンを作るようになった。戸塚の街灯も無いような場所が安く、かつ出身高校の藤沢が近いということで土地勘もあったので店をだした。
その後にそのエリアに次々と店ができた。
当時向かいの洋食屋さんの店主が来店し、「こんなラーメンのスープのとり方は見たことはない。店主も洋食屋さんの見た目だし、すごい店だ」と漏らしていた。そのような印象を受けた人が佐野さんに教えを請うようになった。
佐野自身が全国を食べ歩いて、いろいろなものがある中で、老若男女いつ食べても飽きが来ない、ブームに押される時期があってもいつか戻ってこれるような味が良いんだ、って話していたの。ただ、戻ってきたときに時代が進んで、お客さんたちの進化した舌をがっかりさせないような味でなきゃいけないから、根本の部分は変えないんだけど進化をし続けることが必要だっていつも研究していたのよ。
食材選びの根本には洋食時代に培われたセンスとラーメンへの思いがある。単なる高級食材だけでなく、選んだ食材をかけ合わせる技術や相性を見る目、水などが大事だと気付いた。鶏一つにしても、なにかひとつの材料ではなく複数の種類の鶏を合わせて調和を大事にした。名古屋コーチンや比内地鶏など、ガラではなく丸鶏で使っている。
山水地鶏は、これまであった様々な地鶏をかけ合わせている中で、付き合いのあった精肉屋を誘って思う理想のスープを作るための鶏を探したい、と水が美味しく環境が良い岡山まで探しにいった。岡山の信頼できる養鶏場と共に、ひよこを選びぬくところから初めて山水地鶏が出来上がった。
妻であり仕事のパートナーであるしおりさんにも、カリスマを支えるパートナーならではの苦労があった。
佐野はいつもラーメンのことしか考えていないの。純粋な子供のようで、私には最初彼のことが理解できなかった。でも同じものを毎日一緒に食べて、自分なりにも佐野の考えを理解するように心がけたわ。
「ガチンコ ラーメン道」をみると鬼のようだけど、実際は人情味のある人なのよ。ラーメンの鬼は、怒鳴る、という鬼というよりは、こだわりに対する姿勢がそうさせているのかもしれないわね。
店では美味しいチャーシューや煮玉子などあるが、それらは現在お届けできない状態なのね。そこで色々具材を入れず「かけ」でネギだけ入れて、まずは食べていただきたい。でももし具材を入れるのであれば、何でも対応できるラーメンになっているので、お好みのトッピングをして楽しんでいただいても良いと思いますよ。
とにかく高いクォリティーのかけそばです。なので、柔らかくて香り高い『九条葱』を刻みたてでのせて頂くのが一番!でも、私はいつも残ったスープにご飯を入れてゆっくりと炊いて、極上の雑炊も楽しんでいます。是非試して頂きたいです。